頑張る人の物語

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第4回 『 長倉氏の講演

 11 月のある日、 14 時から講演会は開催された。ある本屋の地下 1 階のスペースが開催場所だった。ここの本屋ではよく文化人などが講演を行うそうだ。講演会は長倉洋海の帰国報告会という形で行われた。

 長倉洋海はある一人のアフガニスタン人を 20 年以上取材してきた。それはアハマッド・ジャー・マス-ドという人で、北部同盟(反タリバーン連合イスラム救国統一戦線)の指揮官を務めた人だ。彼は 9.11 のテロの 2 日前に暗殺をされていた。恐らくは対抗していたタリバン政権の者によってだろう。長倉洋海はマスードの墓参りをしてきて、それを受けての報告会でもあった。

 報告会開始の 20 分前に現地についた藤野は緊張しながら階段を下りていった。

 「今日は絶対に長倉さんと話をしよう」

 藤野は固く決めていた。全体で 10 列席が並ぶ中、藤野は前から 2 列目に腰を下ろした。会場には 100 人位の人が詰めかけ、立ち見も出ていた。照明は落ちて暗く、プロジェクターの光に画像が映し出されていた。

 「長倉洋海です」

50 前の男性が淡々と語り始めた。テレビで見た顔、そして浪人時代に手に取った本で見た顔だった。

 「今日は皆さんにマスードが残していったものをみて欲しいと思います」

 彼は言葉を続けた。そして、そういう彼の目は涙に濡れていて、声も震えていた。

 「本当にマスードのことが好きだったんだな」と藤野は感じた。そして、ここまで一人の人間を、一人の男を愛せる長倉にもさらなる魅力を藤野は感じていた。その場は圧倒されっぱなしであった。映像に圧倒された、長倉の語り口に圧倒された、そして何よりも長倉のマスードへの思いに圧倒された。

 ここまで人に圧倒されたことは藤野にとって初めてだった。体全身に鳥肌がたった。

 マスードの葬式の模様のビデオが流されると、さらに藤野の関心は高まった。 2 ~ 3 万人の人が参席しており、多くの人が涙を流していた。タリバンによって参席を阻害された人もいたようだが、それにしても多くの人がマスードという人の死を悲しんでいる様子が伝わってくる。本当に立派な人だったのだろう。藤野はこのマスードという人にも興味を持った。そしてこのマスードと同じ時を過ごした長倉洋海という男に益々興味を募らせていった。

 丁度、藤野はこの時大学の活動関係でドキュメンタリー映像を撮っていた。その時の自分の心情と長倉の心情を重ね合わせるかのように藤野は長倉がマスードを取材していたシーンを想像していた。

 講演会が終わった。藤野は一緒にイベントに行った友達に話しかけた。

 「帰ろう」

 長倉洋海と会話がしたかった。間違いなく、藤野の人生に大きな影響を与えた人であり、これからも与えていく人だと思った。とても話がしたかった。しかし、今の自分には話をする資格がない。藤野はそのように考えていた。

 講演会の最後に長倉が言ったことを藤野はまだ覚えている。

 「タリバンが悪だと皆が言っている。でもね、あれって違うんじゃないかと思うんですよ。そもそもタリバン・北部同盟とかで枠組み作ることが間違いじゃないかと。タリバンという言葉で表される中でも多くの人がいて、中には国のために命をかけている人もいれば、悪事を働く人もいる。これは北部同盟も同じことです」

 長倉は続ける

 「でも日本ではこれを一つの見方でしか伝えない。大事な事は多角的に情報を伝えていくことであり、一つの枠組みで物事をみてかつそれを断定してしまうのは重大な誤りではないでしょうか。

 ある新聞社の人が『アフガニスタンは戦争しかない』といった趣旨の記事を書いていたので私は怒りました。『アフガニスタンには綺麗な川もある。パンシール川という綺麗な川があるんだ。人々もとても優しい。あなたは見てもいないのに何でこんな事が言えるんだ』と。

 せめてこの会場の人には想像して欲しいです。アフガニスタンの状況を、アフガニスタンに住む人達の顔を。そして、もう一つお願いがあります。今私が言っていることも一度疑ってみてください。」

 

結局、この日藤野は長倉洋海と言葉を交わさないで会場を後にした。しかし、藤野の心の中には長倉の言葉が深く残っており、またアフガニスタンの状況が頭の中を駆け巡っていた。

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