頑張る人の物語

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第14回 『 アフガニスタンからの便り

 4 月の下旬、一人のメンバーがアフガニスタンに行く事になった。しかし、藤野は日本でやる事があった。藤野の代わりに英語も堪能でアフガンプロジェクトにも立上げの早い段階から関わっていた鈴木基芳が行く事になった。

鈴木は 4 月 22 日日本を発ち、まずはパキスタンに向かった。実はこの時、アフガニスタンに入れる保証は無かった。やはりまだ当時は治安が危なかったのだ。パキスタンに 3 日滞在し、アフガニスタンに入れなかったら企画を変えるしかない、こう藤野達は考えていた。

日本に残った藤野はパラボナアンテナやサッカーボールの空輸協力を求めて国際的運輸会社DHLの協力を取り付けたりしていた。そんなある日、藤野の携帯が鳴った。

「良ちん、アフガン入ったよ~。いいとこだよ~。こっちも頑張るから日本でも頑張れよ~」

藤野は泣きそうになった。

鈴木は現地で諸々を上手くまとめてくれた。省庁を回ったり市役員にも話にいった。長倉に貰った紹介状をもとに外務大臣にも会い、現地での活動許可を得た。また、オリンピックスタジアムでサッカー大会を開催する事も了承され、その日程まで抑えてきたのだ。実はこの当時、政権の主要メンバーの多くが長倉が慕ったマスードの下で働いていた。外務大臣もしかりである。

こうした事もあり、現地での交渉は上手く行った。合計2週間の旅を終え、鈴木が帰ってきた。これを機に、マスコミもまた大きくアフガンプロジェクトを紹介しはじめた。このかいもあって、活動資金もボールも多く集まるようになった。

もともと、旅費、滞在費、パラボナアンテナなど備品調達費で 360 万円程が必要だった。この金額が全て個人の寄付で間に合ったのだ。またアディダスがブーツとユニフォームを提供してくれたりと現地でのサッカー大会の準備も整った。

ところで、鈴木は一つのニュースも持ち帰ってきてくれた。それは、アフガニスタンにサッカーのクラブチームが 14 チーム存在するというニュースだった。後に藤野が現地入りした際に詳細は把握したそうだが、実はタリバン政権下においてサッカーは禁止されていなかったというニュースだ。正確にいうと、禁止できなかったのだ。

“肌を見せないように”という事で、タリバン政権下では様々な規制がかけられてきた。サッカーも他のスポーツ同様に禁止対象となりかけた。しかし、元々アフガニスタンではサッカーが盛んで、こればかりはタリバンといえども禁止はできなかったのだ。

結局、半ズボンでのサッカーは禁止だが、長ズボンでやるならば認めるという事になったそうだ。とはいえ実質的に様々な規制が設けられており全面的にサッカーをすることはできなかった。

このニュースは藤野達を喜ばせた。アフガニスタンの人達がサッカーが大好きであるという事実。そして制約下でも現地クラブチームがあったという事実。

これを受けて、急遽現地でのサッカー大会を予選含めての本格的なものにしようという事が決まった。実際に 5 月下旬から 6 月中旬まで 14 チームがトーナメント戦をオリンピックスタジアムで行なうことになった。

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