頑張る人の物語

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第16回 『 1つのボールが教えてくれた

  話を前に戻す。

5 月になると、全てが上手く回り始めていた。 6 月に再度アフガニスタン入りをして、現地にパラボナアンテナとサッカーボールを届けてくる。そして、実際にサッカー大会を開催してくるのだ。

 そのための準備は着々と進みつつあった。メンバーも今では 30 人を超えるまでになった。皆がそれぞれの役割を果たしており、藤野はその進捗を確認すればいいだけになった。

 当初は収集に苦戦をしていたサッカーボールも集まりつつあった。はじめのうちは全く送られてこなくて、初めて提供してくれた人には皆でお礼の手紙を書いた程だった。今では週に 60 個位のボールが送られてきた。

 アフガニスタンに送る数は 600 個だ。他の地域へ送るためには全部で 2002 個必要だが、アフガニスタン用はもう揃ったという事で丁度発送作業を終えた時だった。

 一つのボールが手紙と共に送られてきた。

 そのボールを見た瞬間、「ああ、あの子だ」と藤野は気づいた。

 伊藤由江という当時中学 3 年生の女性からの手紙だった。当時、北海道庄内にある中学に通っていた伊藤はある時、新聞記事でアフガンプロジェクトの事を知る。

 それは 4 月 22 日、鈴木がアフガニスタンに飛び立った事を紹介した北海道新聞の記事だった。この記事を読んだという人から、その日 10 件以上の電話が藤野の方にかかってきた。夜遅く、伊藤は藤野に電話をした。

 「はい、もしもし」藤野が答えた。

 「・・・・」

 「あれ?もしもし」

 前述したように、当時は励ましの電話以外にも批判電話も多かった。もしかしたらいたずら電話かもしれないと思い、切ろうとした時に電話越しで伊藤が声をあげた。

 「あの、、、藤野良太さんですか?今朝新聞をみて、アフガニスタンにボールを送ろうとしていると知って、感動しました」

 普通はこの後、『頑張ってください』とか『ボールをあげます』という会話になるが、伊藤は違った。

 「私の話をしていいですか?」

 驚きつつ、藤野は承諾した。

 「私は中学 3 年生の女生徒です。稚内の北の庄内の中学校に通っています。サッカーが大好きで中学入ったらサッカー部のマネージャーをやろうと思っていたんですよ。でもうちの学校って全校生徒が 20 数人しかいなくてサッカー部も無いし、サッカーの話できる友達もいないんですよ」

 その後はサッカーの話をした。藤野自身がサッカーを好きな事、アフガニスタンの人達もサッカーが好きな事などを話した。

 藤野は伊藤に一つの約束をした。絶対にサッカーボールを届けると。

 伊藤は藤野に二つの約束をした。一つはサッカーボールを何とかして藤野の下に送ること。そしてもう一つは高校は第 1 志望の高校に入ってサッカー部のマネージャーになることだった。

5 月の上旬の今、一つ目の約束が藤野の下に手紙と共に届けられたのだ(また、翌年春に伊藤はもう一つの約束も無事に果たすことになる)。

 手紙自体は伊藤の担任からのものだった。

 『はじめまして。お元気で活躍のことと思います。』

  手紙はこう始まった。

 『学校の方で、新聞を読み考えていくという活動をしているのですが、電話やメールで以前やりとりをしていただいた、伊藤由江さんが「アフガン・プロジェクト 2002 クラブ」の新聞を題材にしていました。“戦争で悲しみの中にいる子供達に、少しでも元気を与えてあげたい”という由江さんの思いや、感動した私の気持ちを伝えた結果、クラスでボール1つを買うことができました。私のクラスは 7 人しかいないのですが、少ないおこづかいから 1000 円も募金してくれる生徒がいたり、子供達の優しさに私もふれることができて嬉しく思いました(以下略)。』

 こう手紙には書かれていた。どうやら、伊藤のクラスでは新聞記事を読んで発表するという授業があるらしい。その授業でアフガンプロジェクトの事をプレゼンしてくれたようだ。そして、皆を説得してくれたとのことだった。

 藤野はこの事に感動した。そして、自分の最近の考え方に対して反省をした。

前述のように 5 月になると、多くのメディアがアフガンプロジェクトの事を報じ、多くの人が協力をしてくれた。お金も集まってきたし、サッカーボールも集まってきた。次第に藤野自身がボールにしろ数勘定しかしなくなっていたのだ。

しかし、この手紙で再度原点に戻ることができた。

「何を勘違いしていたんだ。ここまで出来たのは自分の力じゃない。周りの助けがあったからじゃないか」

伊藤達が送ってきたサッカーボールには一人一人の名前が書かれていた。恐らく、他のサッカーボールにも一つ一つに思いが込められていたのだろう。寄付金についても、わざわざ銀行に行って振込みをしてくれた人がいるわけで、 360 万円という金額ではなくそれをくれた一人一人の思いこそが大事なのではないか。メンバーにしてもそうで、一緒になってやってくれている。この事は非常に素晴らしいことで、自分一人では決してできなかったことだ。

 

藤野は思い直された。そして、この伊藤からもらったボールだけは自分の手で現地に持っていこうと決めた。 

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