頑張る人の物語

> 藤野良太の一覧へ

第19回 『 パラボナアンテナと親友の涙

 翌日から準備が始まった。W杯放映プロジェクト、サッカーボールを届けること、サッカー大会の開催のための準備だ。

6 月 17 日に現地の電化製品市場に機材の調達に行った。日本の秋葉原のような所だ。様々な機材が売っており、なんとプレイステーションなども売られていた。ここで、テレビとパラボナアンテナを藤野達は購入した。

 店の人にW杯を放映したいと伝えると、トルコのTR1というチャンネルを経由すれば見られるかもしれないと教えてもらった。すぐに日本にいるメンバーにFAXを送り、この事の確認をとってもらった。すぐに日本からトルコのTR1の番組表が送られてきた。確かにW杯が放映されている。これでW杯が見られるのだ!!

 場所はカブール市内の市庁舎広場。ここがW杯放映プロジェクトの場所だ。 22 日に最初の放映を開始した。昼過ぎにテレビをつける。チッチという音をたてて、画面に映像が映った。W杯の映像だった。

 「映った~~~~」

 藤野達は喚起の声を上げた。

 初日、テレビの前に来たのは 20 人程度だった。皆、淡々とテレビの中の試合をみているだけだった。しかし、この 20 人は実は相当喜んでいたらしい。次の日には 100 人以上の人が集まった。

 しかし、カブールは暑かった。藤野達は急遽日よけのためにテントをはることにした。このテント設営には地元の業者が手伝ってくれることになっていたが、彼らは約束の時間に大分遅れてきた。どうやら、アフガニスタンでは時間に縛られない生活、スローな生活が一般的なようだ。大して悪びれるでもなく、彼らはテント設営に協力してくれた。

 口コミやカブールラジオで告知がされたこともあって、 300 人以上の人がW杯をみに来るようになった。とてもTV画面だけではおさまらなくなったので、藤野達はプロジェクター投影をすることにした。

6 月 24 日の夜、このプロジェクターを接続してテスト投影を試みた。すると、電圧がショートして機会が全く動かなくなってしまった。みんな、アフガニスタン入りしてから疲れていた。さすがに今回は落ち込んだ。

 鈴木が一人、どこかへと行った。しばらくたっても帰ってこないので、藤野は様子を見に行くことにした。鈴木は外の暗闇の中で一人泣いていた。

 「どうした?」

 「いや、あっち行っててくれ」

 「話してくれよ」

 「くやしいよ」

 藤野の問いかけに対して鈴木は涙ながらに答えた。

 「オレ達は命をかけてまでここまできた。多くの人達の期待を背負ってきた。今まで多くの苦労をしてきた。けど、ここにきてこんな事になるなんて・・・」

 「そんな事言っても始まらないだろ。こんな所で落ち込むなよ」

 「あっち行っててくれ」

 藤野の頭で何かが切れた。気がつけば鈴木の胸倉を掴んでいた。実は藤野はアフガニスタンに着てから少し手持ち無沙汰だった。日本では藤野が先頭にたって活動をしていた。しかし、現地では鈴木が先頭にたって活動をしており、他の 2 人のメンバーもそれぞれの役割を持っていた。藤野自身、自分に何かできることはないかともがいていた。自分の役割は何なのか、と考える日が続いていた。

 こうした自分自身に対するもどかしさと、いつもは『総理大臣になってやる!』と豪語している鈴木が目の前で泣いているのを見たくなかったのだ。

 「いつもデカイこと言ってんのに、こんな事で泣いてんじゃねえよ。嫌ならもう帰れよ!お前だけが口惜しいんじゃないんだ。オレだって・・・・」

 泣きながら藤野は言い、それを聞きながら鈴木も泣いていた。

 「もう一回がんばろう」

 泣きながら、藤野は笑顔で鈴木にいった。

 藤野は鈴木を連れて皆がいるところに戻り休んだ。しばらくすると湯川が駆けつけてきた。機械が直ったのだ。

 鈴木は藤野に言った。

 「良ちん、AP(アフガンプロジェクト)はみんなで作ってきた。でもこの月の下でこんな経験したのはうちら 4 人だけだよ」

 この時の事を藤野は忘れられない。達成感があった。満足感があった。体の全ての細胞が解き放たれていく感覚があった。

 翌日から、多くの人が会場に来た。決勝戦には 2000 人以上の人が詰め掛けた。

 サッカーの試合を毎日見に来た人もいる。その中の一人の元軍人アッバースさんは藤野に対してこういった。

 「生中継を見られるなんて夢のよう。感謝したい。戦乱の続いたアフガンではほとんど娯楽も無かった。毎日見に来たい」

 また、小学生で 11 歳のモーメン君も喜んでくれた。

 「とてもうれしい。ありがとう。僕も将来サッカー選手になるよ!!」

 サッカーを見た事が無い低所得者の人達もいた。彼らが世界を感じることはあまりない。しかし、サッカーの試合の合間に映し出される様々な国のサポーター達。それをみて、彼らは感動していた。

 サッカーを見れたこと。そして世界の人々を見れたこと。多くの人が藤野達に感謝をしていた。あるお年寄りも藤野達に声をかけてきた。

 「タシャコール(ありがとう)。W杯をみるのは 90 年のイタリア大会から 12 年振りだったよ。本当に楽しめた。タシャコール」

 会場には歓声が長く続いた。その歓声はサッカーの試合にだけ向けられたものではない。藤野達への感謝の声も中にあった。“タシャコール”多くの人がそう口にし、会場にはすばらしい笑顔が溢れかえっていた。


次へ>>

  • GRNKI式トップページ
  • プロフィール
  • GENKI式ブログ
  • 頑張る人の物語
  • 取材・講演依頼