頑張る人の物語

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第20回 『 サッカーボールを学校へ

 藤野達はパラボナアンテナ設営以外にもすることがあった。サッカーボールも届けなくてはいけない。当初の予定では、教育省がカブール市内の280の小学校にボールを届けてくれることになっていた。

 雑誌AERAで事前に現地入りしていた諸永記者より、子供たちはペットボトルでサッカーをしているという事を聞き、このペットボトルが白いボールに変わったらどれだけ喜ぶのだろうと思って始めた企画だ。

 アフガンプロジェクトは文字通り、アフガニスタンのためのプロジェクトだった。しかし、企画準備をしているある時、藤野は自問した。

 「なんでアフがニスタンなのか?」

 たまたま長倉洋海の関係で知り、たまたまメディアで紹介されたのがアフガニスタンだった。しかし、アフガニスタン以外にも困っている子供たちはたくさんいる。そう考えたのだ。

 それならこのサッカーボールを届けるという企画だけはアフガニスタン以外の国にも届けよう!ということで、企画名を『フレンズボールプロジェクト』と名づけ、 600 個をアフガニスタンに残りのボールを他の国へ送ろうと決めた。サッカーボールが人をつなげてくれれば、藤野はそう願っていた。

  さて、アフガニスタンでは教育省に頼んでボールをそれぞれの学校に配布してもらおうと思っていたが、ある人から「教育省はボールを売ってしまうかも」という事を聞いた。まだ当時は政権も安定していなかった。可能性は十分にある。 

 どうしようかと考えた。時間は無かった。自分達で回るには限界もあった。しかし、その時に藤野に伊藤由江の事が頭をよぎった。一人一人が思いを込めて届けてくれたこのボールが売られてしまうのは嫌だった。回ろう、自分で。藤野はそう決めた。

 このため、藤野は鈴木達にW杯放映プロジェクトの方は任せることにした。藤野はローズベと二人で現地の小学校を回ることにした。この事で、藤野はローズベとさらに交友を深めることもできた。

 実際に回れた学校は 70 校。残りはローズベが責任を持って渡してくれると約束してくれた。ローズベなら信頼できる。藤野は安心して残りを託した。

 小学校を 1 校づつまわり、一つ一つボールを渡していった。それぞれのボールには送ってくれた人からのメッセージが書かれていた。もちろん日本語なので子供たちは読めない。しかし、そこに書いてあるメッセージの意味、そして藤野達の努力に皆は感謝していた。そして、サッカーボールを受け取った事に対して喜びを隠せないでいた。

 アフガニスタンには学校に通えない子供たちも多くいる。彼らはたばこや水を売って日々を送っている。 1 日に入ってくる収入は 10000 アフガニー、日本円にしてわずか 30 円しかない。

 サッカーボールの値段が 11 ドル。日本円にして 1300 ~ 1400 円。現地の値段にして 40 万アフガニ以上する。とても彼らに買う余裕は無い。

 藤野達は事前に道端ではボールなどをあげない事を決めていた。人だかりができて大変な事になると思ったからだ。命の危険も十分にあったのだ。小学校を回っている中で、ある少年が車を叩いた。藤野達に新聞を売りにきたのだ。

 少年は車の中のボールをジーっとみていた。他の子は「ちょうだい、ちょうだい」と騒ぐが、この子は何もいわずにジーっとみているだけであった。藤野はしばらく考え、この子にボールを一つあげた。

 少年は喜んで走り去っていった。しかし、 5 分後にまた走って戻ってきた。

「はい、これお返しに」

 おそらくこう言ったのだろう。少年は藤野に新聞を差し出した。彼が売っていたものである。もちろん、新聞の内容を読む事はできないが藤野はありがたく受け取った。子供は満足そうな顔をしていた。

 藤野達が配ったボールには一つ一つメッセージが書かれていた。

 『いつか一緒にサッカーをしよう』

 『めざせW杯!』

 そのようなメッセージだ。そうしたメッセージを見ながら、藤野は決意した。日本に帰ったらこのボールを送ってくれた人に対してお礼をしにいこう、と。

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