頑張る人の物語

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第4回 『 サーキットを去った父親

 中野の父はレース界に何のコネもなくゼロの状態で飛び込んでいった。レースには多くの資金が要る。マシン代や整備費など莫大な費用が必要なので、レース関係者が元々知人であるかよほどの資産が無ければ普通は本格的に参加しようとはしない。

  しかし、中野の父はレースに惚れ込んでいた。内装工事という現場仕事をしながら、毎週土日にはサーキット場で練習をし、そして着実に資金を貯めてレースに参戦するようになっていた。

 普段は何も言わない父だった。中野にも自由な学校生活をさせてくれたし、勉強をしなくても咎めることはなかった。実際、中野の部屋に父が足を踏み入れた事もなかった。しかし、レースになると話は変わった。父は中野に対して厳しい態度で接し、常に真剣だった。レースをこの上なく愛する父にとって、中野が中途半端な気持ちでレースに触れることは許せなかった。

 中野の父はレースに対して本気で接し、それを自分の生きがいにしていた。レーシングドライバーとしての実力も徐々に認められ、30歳を過ぎた時点で日本のレースでは最高峰のFニッポンに参戦することにもなっていた。一人のレース好きが中嶋悟など当時のトップレーサーと同じレースに参戦できるようになったのだ。まさしく、これからレーシングドライバーとしての才能を発揮していく時期だった。

 このような時に中野の父がレースを辞める事を決意したのだ。

  理由はチーム(マシンの整備などをしてくれるメカニック、監督達の総称)とスポンサー達との意見の相違だった。中野の父はレースを始めて以来、懇意にしてもらっていたタイヤメーカーがあった。まだ十分に資金も無いときから協力をしてくれていたメーカーだ。ある日、スポンサーがタイヤメーカーを変えていきたいということを伝えてきた。チームもそれに賛成した。

  しかし、中野の父はこれに反対した。Fニッポンに参戦できるようになるまでお世話になった人を裏切ってしまう行為はしたくない。これがきっかけでチームやスポンサーと意見が分かれた中野の父は、お世話になった方へ義理立てをするような形でレース界を去っていった。中野の父は今後レーシングドライバー続けていくことを断念した。

 まだ30過ぎとはいえ、それまでレースを自らの人生の軸にしてきた人だ。自らに対してもとても厳格であり、常に家と仕事場そしてサーキット場の間を行き来する以外、どこにも行かない父だった。家族を養っていくため、そしてレースに参戦するために必要な資金を稼ぎ、そして無駄使いをしないために中野の父は遊びにいったり酒を飲んだりは決してしなかった。何においても手を抜かず、人を裏切らないし、自らに甘えを許さない。このような父がレースを辞めた。

 表面にはあまり出さなかったが、中野の父は相当悩んでいたそうだ。そしてくやしがっていたそうだ。実際にレーシングドライバーとしての人生を辞めてから、8年間、サーキット場には一歩も足を踏み入れなかった自分の居場所でもあり、あれほど好きだったサーキットに、一切足を踏み入れなかったという。

  8年ぶりに足を踏み入れたのは、中野信治がカートからF3へのデビューをした時に我が子を応援する父としてサーキット場を訪れた時だった。

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