頑張る人の物語

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第5回 『 驚異的な中学生

 いずれにせよ、一時期中野家からレーシングドライバーがいなくなった。しかし、すぐに新しいドライバーが誕生した。中野信治が父に代わり、本格的にカートの練習を始めたのだ。

 やはり父親の影響は大きかった。曲がったことが嫌いな父親の背中をみて中野は育った。ゴーカートを始めた時も最初はただ楽しいだけだった。それまでも、中野は走ることや自転車で走ることは好きだった。

  しかし、今度の乗り物はスピードが違った。時速100~120キロが余裕で出るマシンなのだ。11歳の少年にはたまらない、他では一度も味わう事が出来なかった楽しさがあった。だが、レースを引退した時の苦しそうな父親の姿を見ていた中野は、楽しさだけでカートを続けることは出来なかった。

  父の気持ちを引き継ごう。そう考えて練習を行うようになっていった。

 父親もそのような中野を応援してくれた。運転の仕方から整備の仕方まで様々な事を教えてくれた。しかも、非常に厳しく指導をしてくれた。

  今まで、家でもレース以外の話はした事が無かった。しかし、コーチ、レーサーという関係になると会話は本当の意味でレース一色になった。そして、レースにかけてはこだわりを持つ父親は中野に厳しく接していった。当時、サーキット場にいた人達はまだ若い少年が父親に本気で怒られ、時には殴られている様子を記憶に留めている。

 こうして父との二人三脚で戦うようになった中野はゴーカートで非常によい成績を残していく。当時、子供がゴーカートをすることなど考えられなかった。周りは20~30代の大人ばかりだった。もちろん、みんな真剣にレースに挑んでいる選手ばかりだった。しかし、彼らを相手に中野は走れば1位か2位の成績をおさめていた。

 カートは600~1000メートルのサーキットを20~30周する競技なので、時間としては20分程度のものだ。しかし、圧倒的なスピードで中野は他の選手に勝っていた。2位になると口惜しがっている中学生を周りの大人たちは驚きと共に見るようになっていた。

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