頑張る人の物語

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第6回 『 プロとしての自覚

 中学では、最初は陸上部にも入っていたがカートの方で徐々に大きな大会などに参加するようになると部活は辞めてしまう。基本的に練習は毎週日曜に父親と共に練習をしていたが、自主練も含めてその日数は確実に増えていった。学校自体にもあまり通えなくなった。

  ただ、出席日数が足りなくても試験でいい成績さえとれば認めると教師が言ってくれた。それまで、勉強をするという意識は全く無かったが、レースを続けたいという思いが強く、中野は練習の合間に勉強をして出席日数をカバーする為に必要な点数を取ることに集中した。

 レースで勝つと嬉しかった。そして、勝つとさらに上を目指したくなった。中野は父にメカニックとしても関わってもらい、次々と腕をあげていった。11歳の頃からレースに足を踏み入れて以来、基本的に中野はレースを辞めたいと思ったことは無い。ただ、一回だけ試合への参戦をためらい、それを父親に伝えた時があった。

 それは、高校受験の前日のことだった。高校受験の前日にカートの全日本選手権が開催されることになっていた。当時、中野は15歳。この年から15歳からでも参戦できるようになっていた。もちろん、中野も参戦したかった。しかし、さすがに高校受験の前日だ。少しためらいながら父親に考えを伝えた。

 「あのさ、今度のレースは休ませてくれないかな?やはり高校受験の前日だし・・・」

 父親は激怒した。

  「あほか。お前、何言ってんのや?ほんまにやりたいのは何か、今お前がやるべきことは何なのか、きちっと自分で
   考えてみい!!」

 レース以外では父親は中野に何も言わない。もちろん、怒りもしない。しかし、一度レースの話になると、どんな時でも妥協は許さなかった。それは高校受験時においても同じだった。父、常治はさらに続けた。

 「受験なんていうのは何ヶ月も前から分かっていたことだろ!ちゃんと勉強しておけば前日にあわてて勉強なんてする
  ことは無い!お前計画性無いんちゃうか?」

 中野は多少抵抗した。父に抵抗することなんて珍しかった。

 「でも、この1回のレースを休んだからと言って、自分がドライバーとして辞めるわけじゃない。まだ若いんやし・・・」

 だが、この頃になると、中野の心のどこかで将来はレーシングドライバーになろうという事を決めていた。ドライバーとしての道を大切にしていった方がいいだろうと素直に考えられるようになっていた。中野はしばらく考えた後、父親の意見が正しいという結論を下した。そして、今になってこの頃の事を振り返ってこう言う。

 「どんな時でも真剣に参加をする。それがプロだ。今の僕だったらやはり迷わないでレースへの参戦を決めていたでし
  ょうからね。」

 無事に高校には入学できたが、中野は高校に入ってからもカートを続けた。レースで優勝をすると応援してくれる人も増えてくる。タイヤやパーツを無料で提供してくれる会社も現れてきた。このようになってくると、父は益々厳しくなった。父は応援してくれる人、支援してくれる会社に対して責任を持つように厳しく言った。

 もう既に中野は自分自身のためだけに走っているのではない。支援してくれる人や企業の名前を載せてレースに参戦しているのだ。このような人への責任を持つようにと父は厳しく言った。最低限、完走はするように中野に言った。それは、自らが引退した時に懇意になっていたタイヤメーカーに対する責任を果たそうとし、そして結果的には果たせなかった自分への戒めであったのかもしれない。

 中野はそんな父にとても感謝をしていた。何か恩返しをしたかった。恩返しの方法として、彼が考え付いたのがレーシングドライバーになることであり、レースに勝つことだった。そして、それは父親に対する貢献という意味だけでなく、中野自身の楽しみでもあった。

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