頑張る人の物語

> 中野信治の一覧へ

第9回 『 日本から世界へ

 このように戦いの舞台をカートからF3に変えた中野は、90年になると舞台を日本から世界へと変えることとなった。イギリスへと2年間渡ったのだ。株式会社無限と中嶋悟氏が日本レーサーの若者育成プログラムを当時はじめていた。若者育成ということであれば中野信治が選ばれないわけが無かった。上手くタイミングもあい、中野はイギリスでレースを行うことになった。

 イギリスではフォーミュラ・ボクゾールやフォーミュラ・オペルに参戦した。これはF1の前座として行われるレースで、ヨーロッパ中の選手が参戦しているものだ。海外から強い選手が多く参加していた。今でもF1で有名なルーベンズ・バリケロやマウラーレン・デビットクルサード、そして2003年インディ500にて優勝をしたジル・ド・フェランなども参加していた。

 こうした強豪が参戦する中、中野はシリーズを通じて優勝1回、シリーズ5位という素晴らしい成績を残した。マシンもよければチームとの相性もよかった。やはりレースというのはドライバーの力だけでは優勝はできない。

 「正しい時期に正しいタイミングでその場に居合わせる事。そのマシン、そのチームと巡り合い、その場で最大限の
  力を発揮できないと結果は出ない」

 中野はレースの厳しさを僕に教えてくれた。

 結果としてはいい成績をおさめたイギリスでの修行であったが、中野にとってはレーシングドライバーとしても人間としても大きく悩まされた時期だった。

 中野はこの英国滞在がはじめて実家を長期離れた経験だった。生活面含めて一人で全てを行うこと、違う文化で言葉も最初は分からない。さらに、練習中は他の選手よりも速いスピードで走ることができるのだが、いざ試合になると何故か負ける日々が当初は続いた。

 別に他の選手が練習中には手加減をしているという訳ではない。レースとはそのような事をしていては本番に勝つことなどとても出来ない競技だからだ。要因は自らにあると中野は考えた。必死になり、他の選手との違いを考えた。

  また、日本から大量に歴史小説を取り寄せ、生死の境目に立たされた歴代の武将達がどのような判断をしていったかを読み解いていった。

 他の選手との比較、歴代の武将達の分析をして中野は自らに不足していたものに気づいた。それは勝つことへのハングリー精神であり、メンタル面の厳しさだった。

 やはりヨーロッパの他の選手は真剣だった。日本の選手ももちろん真剣な人達もいる。だが、ヨーロッパの選手と比べると意識が違った。ヨーロッパの選手達は勝つためには何でもやろうとしたし、試合前の緊張感は凄まじいものがあった。

 中野は決意した。

 「自分が挑戦していくのは世界の頂点だ。エベレストの山頂にいったらさらにまた別の山頂が見えてくるようなもの。
  多くの天才達が集う中で、彼らに勝つことができるのは自分の意識を常に高く持つ事、これが大事だ。
  常にセルフコントロールをしていこう」

 中野は付き合いでも酒を飲む事は一切止め、レース期間で無いときにも自らを律することにした。常に自らに厳しく生きた。食事にも気を遣い、体調管理などにも意識をやった。トレーニングなども今まで以上に熱をいれてやるようになった。

  ここに、今の中野信治の人格が出来上がった。

次へ>>

  • GRNKI式トップページ
  • プロフィール
  • GENKI式ブログ
  • 頑張る人の物語
  • 取材・講演依頼