頑張る人の物語

> 船橋力の一覧へ

第6回 『 自らの“宿命”

 それから中学を卒業するまで、普通の学校生活を船橋は日本で過ごす。特に変わったことは無かった。アルゼンチン時代に認められた野球を続け活躍をし、授業などでも常に思ったことは言うタイプではあったが、際立って他の友達と違っていたかというとそうでもない。

敢えて言うとすれば、家庭では厳しい父親がいて常に『倫理観と自立』を訴えて、はるばる遠くまで牛乳を買いに行かされるという生活をすることが周りの友達との違いといえば違いだった。

 父は常に厳しかった。高校受験の時もその厳しさは同じだった。受験の「滑り止め」という発想は父親には通じなかった。

 「高校なんて明確な目的が無いなら行くんじゃない。第1志望であれば行ってもいいが、それ以外の高校は受かったとしても学費は払わん!」

 高校に行くなと言いたかった訳ではない。行くのなら、それ相応の目的を船橋が明確にしておけということを父親は言いたかったのだろう。無目的に人生を生きるなということを伝えたかったのだろう。

 だが、このような緊張感の中で船橋は無事に第1志望の高校に入ることができた。正直な話、船橋は高校に受かる自信があった。子供の頃からずっと船橋は常に自分で意思決定をする癖が付いていた。

おそらく、他の学生よりも辛い環境に自らが置かれているのだろうということは分かっていた。そして、それを乗り切ってきているのだから自分はやろうと思ったらとことんやることができる。そう確信していた。

 こうして、第1志望の高校に入った船橋はまた野球部に入った。当時の船橋に将来の夢はと尋ねたら、

「野球選手になりたい!」

という答えがおそらく返ってきただろう。それ位、野球が好きだった。そして、そんな船橋は行きたかった高校に入ることができ、好きな野球をすることができ、楽しい高校生活が待っているはずだった。しかし、その船橋の期待は高校1年の4月の終わり、父親の一言で早くも裏切られることとなった。

 「ブラジルに行く事になった。ついてくるかどうかはお前が決めろ」

 当時、長女と長男にあたる姉と兄は社会人として働いていた。もう一人の姉は既に大学に入っており、実際に選択を迫られたのは船橋だけになっていた。「ついてくるかどうかはお前が決めろ」という父の言葉には言外に含まれている意味があった。

 「ちなみに、日本に残った場合は全部自分でやっていくんだぞ」

 野球をやりながら、家事周りをすることは不可能だと当時の船橋は感じていた。そして、そうした理由だけでなく、船橋にはピンと来ていたものがあった。

 「小さい頃から海外にいた。自分は日本を出るべき人間なんじゃないか。今自分がブラジルに行く事は一つの“宿命”なんじゃないか」

 漠然とそのようなことを船橋は考えていた。そして、数日後父親にブラジルへついて行くことを伝えていた。

次へ>>

  • GRNKI式トップページ
  • プロフィール
  • GENKI式ブログ
  • 頑張る人の物語
  • 取材・講演依頼