頑張る人の物語

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第8回 『 貧しさの中の幸せ

 だが、船橋が育ったのはこうした環境の中だけではなかった。この学校に通っている生徒達は多くが裕福な家庭を持っていた。確かに様々な価値観は存在している。しかし、それは社会の数%しかいない富裕層に限定されていた。当然にして、船橋の父は息子にそのような環境だけを見て欲しくなかった。

 父はよく息子をスラムに連れていった。そして、スラムの人達との交流を積極的に行わせた。スラムとは現地の貧困層が居住している地域である。よく日本の社会の教科書では貧しくて治安の悪い地域として紹介をされている。

 「何だ、楽しそうじゃん」

 実際に船橋が見たスラムは様々な顔を持っていた。汚いスラムもあったが、綺麗なスラムもあった。また、船橋が意外だったのは貧しい生活をしている彼らが決して不幸ではないということに気づいたことだった。

 スラムの人達にも最低限の衣食住は存在していた。そして、サッカーなどの遊びもあった。また、カーニバルのためにスラムの人達もお金を貯め、カーニバル期間中は蓄えたお金をふんだんに使い踊りまくる。そういう光景も見られた。

 彼らには彼らなりの幸せというものがあり、そこには決して貧しいからといって不幸せという理論が通用しないものがあった。貧しいことも一つの個性であり、だから経済的に豊かにしていけばいいというのは多少論理の飛躍があることに船橋は気づいた。

もちろん、人には自らに無いものを求める傾向がある。貧しい人が必ずしも経済的豊かさを求めないかといえばそういう訳ではないかもしれない。でも、貧しい中にも幸せは存在し、そういう人達に経済的豊かさを与えていったとしてもそれ以上に幸せになれるかは保証が無いのではないか。こういうことを船橋は考えるようになっていった。

 こうしてブラジルで高校生活を過ごした船橋は、父親の仕事に区切りがついたこともあり日本の大学に受験をすることとなる。しかし、ここでも父親の態度は一貫していた。第1志望でないと学費を出さない。受験費用さえも出さない。そういう父親だった。

 第1志望が東京大学であった船橋だが、合格した大学は上智大学と京都大学だった。いずれもレベルが高い大学であったが、船橋の父は断固として学費を払わない事を貫き通した。
 
  京都大学に入学した場合、学費を払ってさらに一人暮らしをすることは恐らく不可能と思ったので、船橋は自宅から通える上智大学に通うことにした。大学入学後はアメフト部に入ることになったが、週のほとんどを部活にあてながらも学費を払うために船橋はバイトをするという生活を過ごすことになった。

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